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俵星玄蕃の基礎知識

2010.11.05.Fri.01:47

~関係者~

俵星 玄蕃(たわらぼし・げんば)←主人公
江戸は本所横網町で道場を開いている宝蔵院流の槍の名士。
お酒大好き。
砂俵を槍で突いてはポイポイ投げる、
その名も『俵崩し』という技(ていうかほぼ曲芸)を得意とする。
そば屋の十助の店によく足を運んでいる事から彼とは顔なじみで、
飲みながらいつも十助相手に槍の極意の講釈を垂れている。
彼が只のそば屋じゃ無くて実は敵討ちに来た赤穂浪士なんじゃね?と、
疑いつつもワクテカ密かにその境遇に同情を寄せているが、
聞いても十助は教えてくれなさそうなのである(´・ω・`)


そば屋の十助
夜鳴きそば屋。
しかしその正体は、江戸に潜伏して
吉良の動向を探っていた赤穂浪士の一人杉野十平次
お得意様の俵星がああ見えて本当に槍の名手なのは間違い無かったので
彼が吉良に用心棒として雇われないよう密かに裏工作してた事は
俵星にはナイショ。


大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)
時に元禄15年12月14(略


山鹿 素行(やまが・そこう)
江戸幕府が推奨していた朱子学にイチャモンをつけたので
一時期、播磨国赤穂藩に飛ばされちゃった兵法家。
しかしこれが縁で赤穂藩士達は山鹿流兵法を教わる事になり、
かの大石内蔵助は彼の門弟のひとりであった。
なお、山鹿本人は討ち入り事件よりも以前に亡くなっている。
吉良邸討ち入りの時に打ち鳴られたと言われる
山鹿流陣太鼓の『一打ち二打ち三流れ』については、
後世の創作だった可能性が高いが、真実の程は如何に・・・。


余談ですが、最近出版された「天地明察」という小説に
彼がちょっとだけ登場しています。
お時間とご興味のある方はご一読を。





~「俵星玄蕃」あらすじ~

夜中に飲んだくれてウトウトしてた俵星は、
何となく太鼓の音が聞こえたので耳を済ませてみれば、
山鹿流儀の陣太鼓『一打ち二打ち三流れ』のリズムだったので
「来た!赤穂浪士の討ち入り来た!!これで勝つる!!」
と飛び起きて"天下無双"の槍を右手に松坂町吉良邸へすっ飛んでったら、
ちょうど討ち入りの真っ最中だったので、
屋敷の門の前に立ってた大石内蔵助(本名・よしお)を見つけ、
「俺参上!!」
と参加希望を申し出るが
「えっと大丈夫です」
よしおに丁重にお断りされたところで
サクサクサクサクと雪を蹴立てる音か近づいて来るので振り向くと、
そこには顔なじみであるそば屋の十助が居て、ぽつりと、
「あっ・・・・・・・・・・先生」

十助の顔を見た俵星、
持った湯呑みをばったと落とし
小膝叩いてにっこり笑い、
「おおおおお!そば屋かああああああ!!!」

十助が羽織っている着物に書かれた「杉野十平次」という名前を見て、
やっぱり彼が只のそば屋では無かった事を知った俵星は、
かつて教えた槍の極意を今こそ使えとアドバイス。
(ちなみに極意ってのは俵ポイポイ投げるアレ)
そして最後に、
『命を惜しむな名をこそ惜しめ』
と言い残して十助に別れを告げると、
涙ながらに両国橋のたもとで仁王立ち。
赤穂浪士の邪魔をさせまいと通せんぼしてましたとさ。

おしまい。


以上、失礼千万ざっくり感タップリなあらすじを良く読んだ上で、
三波春夫の「俵星玄蕃」をお聞きください。




名曲すなぁ・・・。

という事で、忠臣蔵のスピンオフとして有名な「俵星玄蕃」。
もうかなり昔から寓話として語り継がれ、
歌舞伎などでは何度も演じられてきたお話ですが
あらすじを知った上で浪曲の「俵星玄蕃」を聞くと
良く理解出来て楽しさ2倍ですね。
 
年末すなぁ・・・。

《参考リンク》
 くすや -個人的忠臣蔵ファンサイト-
 http://www.kusuya.net/index.html

  
追伸。
結婚しました家買いました。
 
コメント
No title
 ↑さらっと、書いたねぇ・・・
No title
結婚したんだ^^

おめでとう!!良い家庭を築いてね!
No title
まだ家がネット開通してないので会社より(ry

>つよた
さらっと書くのがイインダヨ!

>カザリンさん
おひさ!
籍を入れたとたんに忙しくなって帰りが超遅いけど、がんばりますw

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